インテル社のMicrosystem 80構想の中で中核をなすマイクロ・マキシ向けプラットホームをターゲットとしてiAPX 286は提唱されました。8080Aの匂いを残す16ビットCPUと揶揄され、メモリモデルの制約などからシステム設計ががんじがらめになっていたiAPX86/88から解き放たれるべく、プロテクトモードという新しい動作モードを持たせたのが特徴です。
もちろん従来からの86モードでの動作もでき、この動作をリアルモードと呼んでいました。CPUをリセットすると、まずはリアルモードで動作するようになっていました。リアルモードとプロテクトモードでは全く異なるCPUの動作となっていて、当然ソフトウェアとしても異なるプログラミングが求められました。発表当時はWindowsやLinuxのようなOSはなく、インテルから専用のリアルタイム・マルチタスクOSとしてiRMX286、またマイクロソフトからはUNIXライクなマルチタスクOSとしてXENIX286というOSが提供されました。
しかし、パソコンの世界は1981年のIBM-PC以来PC-DOS(いわゆるMS-DOS)しかなく、それはリアルモード上でしか動作しませんでした。MS-DOSはコマンドライン・ベースのOSでしたので、基本的にシングルタスクで十分でしたから、パソコンがiAPX286搭載へと移っていくのはまだ少し時間がかかりました。
1984年、IBM社は新しくシステムを更新したIBM-PC/ATを発売しました。IBM社はこのときも全ての仕様を公開しました。実は、このPC/ATプラットホームは今日のマザーボードとして標準規格であるATXの原点なのです。そのPC/ATのプロセッサとしてiAPX286が採用されました。でも当初はPC-DOSしかサポートされませんでした。つまり、ユーザにとっての286とは、単に速い8086に過ぎなかったのです。実際286搭載パソコンを試したユーザは、その速さに感動するばかりでした。それで満足をしていたわけです。
iAPX286は、186/188とは異なり組込み型市場ではあまり採用されませんでした。なぜなら消費電力が相当高かったからというのが当時の一般的に認識でした。
iAPX286では一部を除いてあまりプロテクトモード(仮想モード)が使用されませんでした。理由はいろいろあると思いますが、そのうちの一つとしてモード変更の問題があったのだと思います。iAPX286では、起動直後のリアルモードからひとたびプロテクトモードへ移ると、二度とリアルモードに戻ることができなかったのです。リアルモードに戻すにはリセットするしか方法がありませんでした。これではPC-DOSのソフトウェア資産を生かしつつ新しくプロテクトモード用のソフトを使うということができません。
その一方で、PC/AT以降でPC-DOS/MS-DOSユーザのために生み出されたメモリ拡張ドライバ(EMS)というのがあります。MS-DOS標準の640KBというメモリ上限値にあと64KB加えることができたのですが、それが予想以上にブレイクしました。実はこのEMSというドライバは、iAPX286自身が持っていたバグを逆利用したものだったのです。あまりにも一般的になってしまったこのEMSのために、インテル社はそのバグを修正することができなくなりました。そればかりか後継機となるi386以降のプロセッサにも敢えてこのバグを搭載しなければならなかったほどです。