一般の家電製品とは異なり、パソコンはその初期である「マイコン」の時代から自作のできる電子機器として、趣味性の高い分野でもありました。米Apple社など自宅のガレージから出発したホビーの発展系企業が多く、いわゆるベンチャービジネスの典型とも言えるでしょう。
パソコンそのものがホビー分野のひとつとして存在している以上、パソコンを自作したり改良を加えたりすることは当然あり得ることで、CPUすらもその対象として考えられます。マイクロプロセッサ初期の1970年代、半導体メーカの間では自称セカンドソースという、ある種の模倣技術が盛んでした。当時はオリジナルの回路をコピーすることは違法ではありませんでした。半導体メーカ各社は単なる模倣に終わることなく、自身の新しい技術を加えることにより付加価値を付けた新製品を投入していったのです。さらに模倣の時代が終わると、こんどは自社の独自設計による動作互換のプロセッサを開発するメーカが出現し、オリジナルのプロセッサよりも技術的に一歩先に進み出すものも現れました。その典型的な会社がAMD社だと思います。
こうした半導体メーカ間のCPU競争にあって、パソコンを趣味とするホビーストのなかに、購入した(あるいは自作した)プロセッサを後発メーカのより高い性能を持つCPUに取り替えてパワーアップするということが1980年代初期から行われ、徐々に一般のユーザにまで浸透していきます。
このように他社の互換プロセッサによるアフターマーケットの市場性に目を付けたインテル社が、独自に開発しリテール市場へと乗り出したのがこのODP(オーバードライブ・プロセッサ)というわけなのです。
確かにそれまでもオプションでの後付け装着としては、数値演算プロセッサ(8087/287/387等)がありましたが、いずれもパソコンメーカによるオプション扱いであったことと高価であったこともあり、あまり普及することはありませんでした。ところが今回はインテル社が自前で直接ユーザ向けに販売を開始した上に、クロック倍速技術などを投入して性能向上をアピールしたため、ユーザの間にODPというアフター市場が生まれ、定着して行きました。
ODPが登場した1990年代初頭のパソコンですが、主力モデルでも30万円近くもするという価格でしたから、ユーザもそう簡単に買い換えるわけにもいきませんでした。ですからCPUを買い換えるだけで最新のパソコンと同じ性能になるというメッセージはユーザの心を素早くつかんだのです。
インテルにとしても初めての挑戦であったODPのリテールビジネスですが、このビジネスにより構築されたリテール・チャネルとの関係をもとに、その後インテルは本格的にODP以外のプロセッサをBOX-CPUとしてパッケージ化し、広く自作派のユーザ向けにビジネス展開を始めるきっかけにもなりました。
ODPのラインアップはその後Pentium II時代まで続くことになります。
その後ODPがなぜ市場から消えていったのでしょうか。
ひとつは最近のプロセッサはCPUとチップセットの組み合わせがより厳密になっていることです。次に、ODPではなくとも同じSocket番号対応であれば、より高いクロックのBOX-CPUを購入することで同じ効果が得られることです。さらに世代間をまたぐようなODPをもし作っても、必ずしもいい結果が得られないということがODPの経験上得られたということもあるでしょう。
しかしもっと大きいことは、インテルのビジネスを脅かすようなCPUクローン・メーカが殆ど壊滅し、唯一頑張っているのがAMDだけという状況になってしまったため、敢えて自らODPを展開する必要性がなくなったからともいえます。
それにごく最近ではODP当時に比べはるかにパソコン本体の価格が下がってきています。これはエンドユーザにとってCPUだけ新しくしても周辺機器が昔のままではシステム性能のバランスが悪いということを意味します。その場合にはむしろ買い換えた方が却ってコストパフォーマンスがいいですし、パソコン本体の価格低下はそのしきい値を下げてくれているのです。
ODPはマイクロプロセッサ業界にとって、ひとつの通過点といえるかもしれません。
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