今年はいつになく冬らしい寒さが訪れています。東北地方や日本海沿岸などは異常なほどの大雪に見舞われて、雪には慣れているはずの地元の皆さんもご苦労されているとか。お見舞い申し上げます。
僕たちがまだ小さかった頃、越後では頭の上まで降り積もった雪景色というのは当たり前でした。東北や上信越に新幹線が開業する前のことでしたから、在来線の列車は唯一のライフラインでした。 僕が高校生の頃は、新潟の長岡から上越線・高崎線を通って上野まで走る普通電車があり、朝のホームで電車を待っていると、入ってきた電車の先頭車にはびっしりと雪がついていて、あぁ山の方は大雪なんだなぁという冬の思い出をいまでも覚えています。残念ですが今では新潟からやってくる普通電車は水上止まり。水上発の普通電車は高崎止まりと分断された運行しかしていません。その方が効率が良いのでしょうが、そうした季節感を味わうこともできなくなりました。
ところで昨年の冬に撮影した群馬県側の場所(谷川岳天神平)では雪が眩しいほどに輝き美しかったのですが、トンネルを抜けて新潟県側に入った今年(越後湯沢、越後中里)は、まるで正反対。昔ながらの水墨画をイメージさせるような山々と雪を抱いた森林には、音もなくしんしんと雪が降り積もっていました。同じ日本の雪景色というテーマでも、地域や場所が異なれば雪景色の雰囲気も全く異なります。不思議なことに年齢を重ねるにつれ、陰の世界というか水墨画のような和の世界にますます共感を覚えるようになりました。でもそうした和の趣に触れるには新幹線の駅を降り立ってすぐというわけにはいきません。できるだけ日帰りを目標としている撮影なので、なかなか絶好の場所を探し出すことは簡単ではありません。
さて、いまや無人駅となったホームに降り立った恵美さんを撮影していると、その昔僕が社会人になったばかりのころ、一緒に旅した彼女のことがファインダー越しにふと思い浮かんできました。あのときも、そして今も、同じようにしんしんと雪が降り積もり、その静寂はまるで時が止まったかのようでした。空の色も、彼女の長い髪の毛に雪が降り積もっている姿も、曇った電車の窓ガラスも、あの時のままでした。
僕は一瞬にして彼女と旅したあの日に還っていました。
その彼女は、いまはもうこの世にはいません。あのとき、もっとたくさん写真という記憶に留めておけば良かったと思いながらシャッターを切っていました。
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