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キヤノン(Canon) 一眼レフカメラについて

キヤノンというカメラメーカーの歴史を紐解いてみると、必ずしも日本のカメラ史上でトップを走り続けているわけではないことがわかります。しかし常にコンスーマー向けのカメラとして人々に受け入れられてきたことは事実だと思います。そしてそこには多くの挑戦と苦難を見いだすことが出来ます。

1950年代末、キヤノン初めての一眼レフカメラ

キヤノンのカメラ史はレンジファインダー機から始まったことはよく知られています。そのため一眼レフカメラに関して他のメーカーに後塵を拝する立場からの出発でした。Nikonが歴史に名を残すシステム一眼レフのNikon F を発売した1959年、キヤノンはCanon Flexという初の一眼レフを発売しています。でも一眼レフカメラの技術は他社に大きく遅れ、ビジネス的に惨憺たる状況が続きました。

1960年代、他社に追いついたFシリーズ

1964年、満を持して世に送り出したCanon F シリーズの初号機、Canon FX (1964年発売) とFL 交換レンズ群で一定の評価を得ることが出来ましたが、他社からは続々と新技術であるTTL露出計内蔵カメラが発売されてしまいました。一念奮起して世に問うたCanon PELLIXは世界初の固定ハーフミラーを搭載し、ファインダーのブラックアウト問題の解消や、フィルム面での高精度測光を訴求したものの、結局ヒット作が出たのは次のCanon FTQLになってからです。

1970年代、初めてのプロ用カメラと第一期黄金時代

プロフェッショナルカメラはNikon Fに奪われていたキヤノンが、本格的システム一眼レフCanon F-1を送り出したのはNikon Fに遅れること10年余りも経った1970年のことです。同時に刷新されたFDレンズ群のみならず、システムカメラとしてのオプション一式をすべて同時発表という気合いの入れ方に、F-1は驚嘆の声を持ってプロユーザに受け入れられたのでした。

ところが、既に他社ではマニュアル露出カメラから、自動露出(EEカメラ)の開発へと進んでいました。ここでキヤノンは一気に技術の先端へ駒を進めます。それが1976年春に発表された、Canon AE-1でした。電子制御化を一気に推し進め、単に露出の自動制御(シャッター優先AE)だけでなく、シャッターの電磁制御化、セルフタイマーなどの電子制御化など、機構部品を大幅に簡素化して電子制御システムを取り入れた結果、部品点数の大幅な削減を達成しました。そのことはコストの低減、組み立て工程の簡素化、性能・信頼性の向上、そしてカメラ本体の小型軽量化などに貢献。特に低価格化は消費者から高く評価されて、第一期の一眼レフ・一大ブームをもたらしました。競合各社が追いつくまでに数年を要したと言われるこのAE-1の登場は、カメラの電子化に関わる最初の歴史的な出来事だったと評価されています。

コンピュータ制御カメラ技術に自信を深めたキヤノンは、立て続けにCanon Aシリーズの新機種を投入していきます。マイクロコンピュータを使用したデジタル制御フルモードAEのCanon A-1、今日のAF(オートフォーカス)カメラの礎ともなる、フォーカスエイド機能(ピントが合っているかどうかをファインダー内に表示させる機能)を搭載したAL-1(1982年)など矢継ぎ早にヒット作を重ねて行ったのです。 このAシリーズでキヤノンは第一期の黄金時代を迎えたと言ってもいいでしょう。

1980年代 -足踏みから再挑戦へ。EOSへの道のり

ところが一転、キヤノンは次のTシリーズで足踏みすることを余儀なくされます。Aシリーズでは高嶺の花であった一眼レフカメラの存在を普通のファミリーへと広げることに成功しましたが、TシリーズではAシリーズとは全く異なるデザインコンセプトが市場から受け入れられず、大きくシェアを失うことになります。しかも1980年代中頃に発表された、完成度の高いAF一眼レフ、ミノルタα7000シリーズはキヤノンだけでなくカメラ業界に激震をもたらしました。αショックと呼ばれています。各社ともAF一眼レフに向けて一斉に走り始めました。

キヤノンも例外ではなく、Tシリーズの失敗を受けて、それまで30年余りも受け継いできたマウント(R/FL/FD)の互換性すらかなぐり捨ててゼロからの出発を決意する決断を下しました。

 

1987年、その努力の成果は実を結び、Canon EOS650が発表となりました。Tシリーズカメラの購入をためらっていた多くのキヤノン・ファンたちは、こぞってEOSへ飛びついたのです。第二のキヤノン黄金時代への幕開けでした。

1990年次代、キヤノンEOS AF一眼レフ。第二期黄金時代

マニュアルAF時代からの継承性をかなぐり捨てたキヤノンにとっては、従来からのFDレンズ・ユーザが離れていくかもしれない大きなリスクを伴うことであったわけですが、キヤノン技術陣がAE-1以来蓄積してきたコンピュータによる制御技術という大きなノウハウを推し進めることで、他社に大きな差をつけていったのが1990年代です。Nikonを始め他社が従来からの顧客を大事にする余り、マニュアルフォーカスレンズとAFレンズの互換性に苦難の道を歩んでいました。ところがキヤノンは全く新しいAF専用マウントに切り替えたため、設計の自由度も高く新設計のレンズを次々に投入。しかも撮影の制御をすべてコンピュータにまかせることで、さまざまなユーザーフレンドリーな機能を備えていき、新しいユーザをどんどん増やしていきました。

 

この1990年代、既にキヤノンは一眼レフカメラ・シリーズをおおきく3つに分かれた商品構成を確立します。プロ用のEOS-1シリーズ、アマチュア向けのシリーズ、そして初心者向けのKissシリーズでした。

 

キヤノンがEOS AF一眼レフシリーズでNikonに並ぶ2台カメラメーカーとしての位置を固めた1990年代中頃、キヤノンは一大決心をします。それは1970年に始まるプロ用システム一眼レフ、F-1シリーズとFDレンズからの決別でした。1996年夏、それらは惜しまれながら製造を終了となりました。

2000年代、EOSデジタル・シリーズの繁栄と第三期黄金時代

デジタルカメラについては、各社とも1990年代後半から開発に拍車がかかり、カメラメーカーだけでなく新規参入を狙う家電メーカーも巻き込んで淘汰の時代へ入ります。キヤノンはすでに自社内に半導体製造技術と生産技術を保有していた強みで、一気に勝負に出て行きます。

 

2000年、それまで百万円もしたデジタル一眼レフカメラの価格を一気に35万円まで引き下げたEOS 30Dを発売し世間をあっと言わせました。デジタルカメラにとって重要な技術は撮像センサー技術。キヤノンは次々に解像度を高めたデジタル一眼レフカメラを送り出し、Nikonを始め他社を引き離しにかかりました。またデジタル版のEOS Digital Kissでは夢のような10万円以下で高性能デジタル一眼レフを実現し、フィルムカメラを過去のものとして追い込んでいきました。

 

それはカメラ業界にとって大きな革命的出来事でした。キヤノンと異なり体内にデジタルカメラの基礎技術を持たないカメラメーカーは軒並み経営が苦しくなり、大幅な業界再編が行われました。旭光学はHoyaに買収され、コニカミノルタもカメラ部門をSONYへ売却、オリンパスも松下電器産業(Panasonic)と技術提携を余儀なくされ、小さなカメラメーカー各社は市場から去っていったのです。あのNikonですら、撮像センサーをSONYから購入しなければならないほどの苦境を味わっています。

 

それでも大きなブランド力を持つNikonは徐々に頭角を現し、今ではCanonと抜きつ抜かれつの熾烈な競争をしています。それが今後の新しい技術革新を生み、また大きな変革時期がやってくるのかも知れません。そのときCanonはどのように対応していくのか、カメラファンとしては大きな楽しみと期待を込めて見つめていきたいと思っています。

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