AEフルモードといえるCanon A-1が発売された1年後の昭和54年5月、今度は再び方向性の異なるカメラをキヤノンは送り出しました。それがCanon AV-1です。それは新しい技術への挑戦を続けてきたキヤノンとしては、コンパクトカメラの代名詞であったキャノネットの一眼レフみたいな、初心者向けかんたん一眼レフカメラを生み出すことだったのでしょうか。それによってよりファミリー向けの底辺を広げることにあったのでしょうか。
このAV-1の開発趣旨として、キヤノン博物館によれば、海外市場からの要望に沿った開発であったと回顧しています。確かに1960年代後半よりキヤノンは、海外市場向けにCanon FTやFTbなどをデチューンしたモデルを輸出専用市場に送り出しています(TX, TLbなど)。しかし初めて国内に低価格機として送り出したTLbはほとんど国内では受け入れられませんでした。AE-1で一眼レフカメラ市場が広がるのを見て、より一層市場を広げるためにAV-1を海外市場の要求に合わせて開発すると共に国内市場にも投入することで、TLbでは成し得なかったビジネスのリベンジを図ったのかも知れません。
このAV-1では、キヤノンは従来の設計コンセプトをかなぐり捨てて、オート撮影専用設計をはじめ大幅な設計方針の変更を加えています。
AE-1によりAEカメラという方向性が市場において決定的になったとき、ユーザの間では「シャッター速度優先」と「絞り優先」とでAEの優位性についてかなり議論が交わされた記憶があります。マルチモードAEが当たり前の今日ではその議論を紹介することは無意味なので割愛しますが、カメラ設計時において低コスト化が実現できる絞り優先AEを採用したことは、キヤノンの技術志向を曲げてでも低価格化を実現しなければならなかった苦悩が伺えます。
実際にキヤノンの方向性を明らかに主張する、プログラムAE+シャッター速度優先AEを組み合わせた、Canon AE-1 Programを2年後の1981年に発売していることからも、恐らくはAV-1の方向性が国内ではあまり受け入れられなかったのではないかと思われます。
ただ面白いことに、この絞り優先AE専用機というコンセプトはこれだけにとどまらず、Aシリーズ最後のAL-1にも受け継がれていきます。