キヤノンTシリーズ最初のモデルはT50で、これはT70の前年(1983年)に発売されています。一眼レフカメラでは後塵を拝していたキヤノンですが、1976年に発売したAE-1によりカメラ業界を驚かせただけでなく、A-1の発売で一気に一眼レフ業界の電子化技術でリーダーとなりました。AE-1, AE-1Program併せて累計700万台を超える出荷数量を見ても分かるように、単に技術的なリーダーというだけでなく、ビジネス的にも大成功を収め、キヤノンは名実共に業界の牽引役となったのです。
ところがそれでもどこかキヤノンの技術陣にはまだ迷いがあったように見受けられます。A-1の次に発売されたAV-1やAシリーズ最後のAL-1などでは、ユーザーの裾野を広げる目的で一眼レフカメラ初心者をターゲットにしたものと考えられますが、『安くて簡単操作』なら何でもアリというその割り切り方には今でも異論のあるところです。
A-シリーズが徐々に魅力を失っていくことに焦ったキヤノンは、本格的にモデルチェンジをすることで失いかけていたユーザを引き戻そうと考えたのかも知れません。そこで全面的にデザインの変更を含め取り組んだのがTシリーズというわけです。
ところが何をどう見誤ったのか、Aシリーズまで続いてきた『カメラ=精密光学機器』というイメージをぶち壊して、家電製品へ近付けてしまったのです。素材丸出しの、のっぺりしたエンジニアリング・プラスチックの外装に単なるシルク印刷のCanonロゴ、スイッチもレバーもダイヤルもなくそれでいて四隅は変に角張っています。AE-1やAE-1Programのような、小さくてどこかエレガントで可愛らしさがまるでありません。いったいどんなユーザをイメージしたのでしょうか?
Tシリーズの最初の機種はT50でした。AV-1やAL-1と同様初心者向けだったので単にシャッターを切るだけしかできない機種。FTのころからキヤノンを知っているユーザ達は一気にテンションが下がりました。新発売に期待して買い換えようと思っていたキヤノンファンはやむなく併売されていたAE-1Programに走ったのではないかと思います。キヤノンは本当に大切にすべきコアユーザーを失いかけたのです。
そこで慌てたのかそれとも百も承知だったのか、T50発表後1年目にしてAE-1Programの後継機を世の中に問いました。それがこのT70だったのです。
それでもやっぱり(少なくとも私は)、ちっとも萌えませんでした。
でも冷静になって考えてみると、実は現代のデジタル一眼レフカメラのデザイン要素の原点がT70であったことは明らかです。ワインダーによる巻き上げレバーの廃止や大型液晶表示とボタンによるヒューマンインタフェース、ダイヤルの廃止などなど(一部を除く)が典型的です。これらの要素技術の数々は1987年以降に大転換したEOSシリーズに引き継がれ、熟成されて現代のEOSデジタルへとそのDNAは継続されていきました。
ただ、当時の感覚で言えばTシリーズはみな突飛なカメラであり、あまり所有することに満足感を与えてはくれませんでした。この当時のカメラと言えばNikon FAがあり、Pentax Super Aがあり、そしてミノルタX-700がありました。そのどれもがオーソドックスなスタイルでありながらしっかりとマルチモードAEなどの最新技術は取り込んでいたのです。
キヤノンはこの時期、技術的リーダーであることに力を注ぎすぎて、何かを失ってしまったのではないかと思います。
実際にT-50やT-70は台数的にどのくらいの販売実績となったのでしょうか。ネットで調べてみると予想外に結構売れたとする説と、毛嫌いしている話がありわかりません。
でも、ひとつだけ言えるのはTシリーズのデザイントレンドに追随した他のカメラメーカーは皆無だったことです。それがわかったのか、T-90になって初めてイタリアのカロッツェリアに依頼をして再び新しいデザインを模索すると共に、それまでのTシリーズカメラとはまるで逆行したかのように、マニアに応える設定項目や動作モードを劇的に増やし、プロ用のNew F-1のようなシステムカメラとは別の『弄れる』カメラを登場させました。そしてそれは再び大きな脚光を浴びることとなり、その姿を元に初代のEOS650/620が開発されていくのです。
T-70は確かに技術的には現行のデジタル一眼レフカメラへとつながるいくつかのDNAを持っていました。でもそれは時代のあだ花となって荒波に呑まれていったのです。