一方でシャッターは、電池がなくても動作できるという目標のために、従来通りのメカニカル・シャッターを敢えて採用し、それに加えて低速シャッター精度を向上させるために 1/125秒以下は電子制御に切り替えるという手の込んだハイブリッド・シャッターとしています。従来通り高耐久性のために10万回を保証するシャッターには、高価なチタン幕が採用されているのも同じであるほか、高速時のシャッター精度の向上を図るため、シャッター幕速度を従来の F-1比で2倍に引き上げています。
メカニカル・シャッターを採用したこの F-1シリーズは、その目標通り対極にある Nikon Fシリーズとともにプロ用カメラの代表格として広く採用されましたが、機種としてはF-1、F-1n、そしてNew F-1の3機種で幕を閉じます。キヤノン開発陣としてはさらに次の企画もあったようですが、試作などへの発展はなかったようです。その理由はオートフォーカス一眼レフカメラに対する大がかりな転換を迎えていたからと言えます。1987年にキヤノンは思い切った一眼レフカメラシステムを発表します。それは30年近く続いたR/FL/FD系のマウントからオートフォーカス専用のEFマウントとEOSカメラボディのシリーズへの切り替えでした。そしてプロフェッショナル向けのカメラとしてもEOS-1系が1989年に登場し、現在のEOS-1D系へと新しい系譜を刻んでいます。
オートフォーカスの EOSと EFレンズ系が充実しても、FDレンズやF-1系に投資を行ってきたプロカメラマン達にとって、そう簡単に全てのシステムを入れ替えることはできません。キヤノンは、こうした業務用の撮影現場を保護するために、長期にわたる New F-1とそのアクセサリやFDレンズ群の生産、販売、技術サービスの継続を約束しました。実際にキヤノンが最終的なこれらの販売終了を告知したのは1996年夏ですから、EOS誕生後およそ9年ほど併行して販売が続けられていたことになります。
現在ストックしている New F-1は2台あります。どちらも AEファインダー付きの購入時新品未使用ボディで、片方が30万番台、もうひとつは31万番台のシリアルとなっています。シリアル31万番台の個体というのは中古市場やオークション等でも目にしたことがなく、たいへんレアであり恐らくは本当にこれが最終ロットだったのかもしれません。ですから31万台のボディは未使用のまま維持して、30万番台の個体を使用しています(といっても殆ど使用していませんが)。有名なキヤノン年号ですが、パトローネ室の印刷を見ますと、シリアル30万番台の方は1992年8月、シリアル31万番台の方は1992年9月となっています。過去所有していた30万番台の個体は1992年6月ですから、どうやら New F-1の最終生産は1992年9月までに完了し、あとは1996年の販売終了まで在庫で回していたということになります。New F-1やそのアクセサリー、FDレンズ群などが販売終了となった1996年前後のキヤノン一眼レフというとフィルム系EOS全盛時代で、特に視線入力や多点AFポイントといった技術の商品化、APSフィルム一眼レフカメラの商品化などとともに、本格的なデジタル一眼レフカメラ開発始めたところといった時代でした。
そのころから数えても既に20年余の時が経過しています。New F-1の部品はどの程度サービス部門に在庫しているのでしょう。日本の誇る最後の精密光学機器といえるCanon New F-1がいつまでも整備できる状態で居続けて欲しいと個人的に願っている今日この頃です。