後楽園といえば、最もよく知られているのは読売巨人軍のホームグラウンドとして東京・水道橋駅北側にある、後楽園ドーム球場を思い浮かべる方が多いことでしょう。また、他にもドーム球場を取り巻く後楽園遊園地のことを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。さらに岡山にある後楽園とのつながりを想像する方もお出でになるでしょう。でもこの後楽園という名前の由来は、これらの施設にあるのではなくて、都会の中に広がる静寂の空間とでもいいましょうか、小石川後楽園が、その由来となっています。
小石川後楽園は、徳川幕府初期の頃初代の水戸藩主となった徳川頼房によって築庭され、二代藩主の光圀により改修・完成をみた、水戸徳川家の上屋敷の庭園です。今から400年近くも昔のことになります。徳川光圀公といえば、あまりにも有名な水戸のご老公様ですね。そこの者!! 頭が高い、控えおろう、このご印籠が目に入らぬか!! ここのお方を誰と心得る、恐れ多くも先の副将軍、水戸の光圀公にあらせられるぞ!! なあんて。この番組も長寿でしたが、ついに終わってしまい残念至極。
話がそれましたが、小石川後楽園はまさにドーム球場や後楽園遊園地などのスペースと隣り合わせに、でも静寂なたたずまいで私たちを迎えてくれました。撮影に庭園を利用したのは二度目で、前回は六義園でした。時期は少し異なりましたが、六義園と異なって小石川後楽園は山河がしっかり造り込まれており、その高低差のなかに数カ所水を引き込んで渓流を表現していて美しい庭作りでした。水戸の偕楽園はとにかく広さが自慢という感じですが、江戸藩邸の小石川後楽園は小さいなりにも箱庭のようにきちんと見所を造り込んでいました。
ですから撮影という場面では、なんとなく光圀公の仕組んだ風景に見事に嵌められてしまい、誰が撮影しても同じになってしまうのではないかと思えるほど陳腐なものになってしまっているかもしれません。よくよく考えれば光圀公にやられてしまったと思います。でもそれが心地よいほど、この庭園は居心地がよかったです。また撮影に訪れたいと思いますが、そのときもやっぱり光圀公に嵌められてしまうでしょう。四季の美しさを撮影してみたいと思いました。
そして次は、後楽園とは真逆の丸の内です。ここ最近、丸の内エリアの大地主さんである、三菱地所さんが丸の内地区のビルを次々に大改修しています。すでに丸ビルや新丸ビルなど東京駅に近いエリアから新しい高層ビルへと生まれ変わっていますが、丸の内OLが闊歩している昔からのオフィス街、特に中通りは、ブランドショップやカフェテラスが立ち並ぶ、洒落たアベニューへと衣替えをしています。なのでそんな丸の内をバックに撮影しようと恵美さんと向かいました。
土曜日なのでOLさんたちやビジネスマンたちはあまり見かけず、逆に観光客が多くいるブランドショップ・アベニューでした。もう日も落ちてきていましたが、逆にショップの明かりは街をとても素敵な色へと浮かび上がらせてくれて、とても魅力的な街へと変えていました。丸の内は新しいオフィス街として、そして新しいブランドショップ街として生まれ変わっていました。
撮影機材:Canon EOS 5D Mark II / EF24-105mm F4L IS USM