『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。』
あまりにも有名な、作家・故川端康成氏の小説『雪国』の冒頭です。この小説は昭和12年(1937年)に初版の単行本として出版されたものですが、遡ること6年前の昭和6年(1931年)にこのあまりにも長いトンネルと共に上越線が開通したのです。
昨年、水墨画のような『日本の雪景色、原風景』を求めて越後中里へと出かけましたが、同じ路線でも今回は行程を延長して『国境の長いトンネル』を経てその両側にある国境の駅風景を求めて上越線に乗りました。
『雪国』に従うのなら素直に群馬県側から新潟県へと抜けることで、『・・・そこは雪国だった』と味わいたいところなのですが、もはやローカル線なみに運行本数が少ない上越線で効率よく移動するには越後湯沢駅から逆に群馬県の方へ抜けるしかありませんでした。
国境の向こう側は、去年以上に豪雪が僕たちを待ち受けていました。ザンザンと降り積もる雪は牡丹雪のように大粒で、凍てつくような寒さです。去年撮り損なったシーンを求めて越後中里駅で降り立つと、さっそく同じ小道を歩いていきました。ところが余りの降雪に景色は何も見えません。撮影の基本となる風景が真っ白で付近にある林や人家すらも見えないのです。しかも少し離れて撮影しようとすると恵美さんが見えなくなるほど降りしきる雪が二人の間をさえぎってしまいます。
いったいどれだけのカットを無駄にしたことでしょう。寒さも忘れて撮り直しを繰り返しているうちにカメラを構える両手の指からは一切の感覚が消えていきました。思いもかけず軽い凍傷にかかってしまったのでした。
撮影を切り上げて駅舎に戻りましたが、無人の駅舎には暖房などありません。感覚の麻痺した両手をセーターの中に入れやっと感覚が戻ってきました。
それでも痺れの続く指先をいたわりながら、上越線の電車に揺られて国境を越えます。そのトンネルこそ、『雪国』の冒頭で語られた、国境の長いトンネルそのものでした。電車で進む方向は残念ながら反対方向でしたが。そしてトンネルを出たとき、そこはやはり雪国だったのです。群馬県側の国境の駅、それは土合駅でした。国境の長いトンネルを抜ける前から雪国だった、のです。
夏は登山客がよく訪れる谷川岳の麓に土合駅はあります。上り線と下り線が離れているこの駅は、双方を結ぶ通路が乗客専用の長い坂のトンネルで有名です。そしてこの土合駅もまた無人駅でした。
ホームに降り立った乗客は僕たち二人だけ。もちろん電車に乗り込む乗客もいません。ホーム降り積もった雪は深く、誰一人歩いた後がありません。一歩一歩踏みしめながら駅舎にたどり着いたけれど、駅舎はひっそりと静まりかえっています。外は益々降雪が激しくなり、山々の景色はまるで見えません。時折ヒューヒューと風の音がして、猛烈に雪が降り注いでいます。駅前の広場は多少除雪された跡がありましたが、すっかり新雪が降り積もりアフタースキー用のロングブーツですら埋もれてしまうくらいの積雪に覆われて、どこに道があるのかすらすらわからないほどでした。本当はあのトンネル入り口あたりまで足を運ぼうとしましたが、あまりの雪に断念したのです。
折り返しの列車に乗るために僕たちは長い長いトンネルを歩いて下りていきました。トンネルは400段以上もあって、なんと80mも降りていかないと電車に乗ることが出来ません。そのトンネルは真っ直ぐ延びていて、まるでタイムトンネルのように僕らを引き込もうとしていました。
トンネルの写真を撮ろうとしたとき不思議な現象が突如起きました。それまで快調に動作していた片腕のEOS 5DMark IIIが突然上手く動かなくなってしまったのです。AFが合わなくなり、ストロボの同期も上手く取れなくなり、シンクロAEもうまくいかなくなりました。それらはすべてトンネル内に満ちていた高い湿度の影響のようでした。終いには大事にしているレンズの内側まで結露を始めたため、撮影を断念し引き上げることにしました。悔しいので記念にと撮ったiPhoneのほうがずっとマシに撮れているのにはがっかり。なんてこった。
撮影機材:Canon EOS 5D Mark III / EF24-105mm F4L IS USM