1980年、インテル社は小型のマイクロコンピュータ・システムから大型汎用コンピュータの領域に至るまでの広い領域をサポートする、近日未来のマイクロプロセッサ・システムのロードマップを明らかにしました。それが"Microsystem 80 Advance Information"という小冊子として配布されました。この時点ではまだIBM社のIBM-PCは発表されておらず、市場でのMCS-86/88に対する評価はかなり厳しいものでした。
このMicrosystem 80において、インテル社は3つの新しい製品群の開発提供を約束します。MCS-86/88の性能を若干上げてシステム集積を高めた小型システム向けiAPX 186/188、仮想空間やプロテクトモードをサポートしたiAPX 286、そしてメインフレーム・システムをマイクロ化したiAPX432です。これらにより既に大きな市場となっていたMCS-80/85系の8ビット・プラットホームを緩やかに16-32ビットの世界へと成長させるべく提案したのでした。
この約束に従いこれら3種類のマイクロプロセッサは続々と市場に投入されていきます。この中でiAPX 186/188は当初予定されていた1981年には間に合わず、iAPX 286から数ヶ月遅れた1982年6月に発表へとこぎ着けたのです。
Microsystem 80構想からiAPX 186/188発表までの間に、大きな動きがありました。それがビッグブルー、IBM社からの初めてのパソコンであるIBM-PCの発売があったのです。コンピュータとしてこれ以上のものはないブランド力を有するIBM社のパソコンに法人を初めとするユーザは一斉に飛びつきました。しかもIBM社はPC業界への参入の遅れを一気に取り戻すべく、プラットホームのアーキテクチャを全て公開してしまうと言う大胆な手法を導入しました。つまり互換機を容認しようというのです。これに呼応して続々とIBM互換PCが現れ始めました。
そんな中、iAPX 186/188には困ったことがありました。IBM-PCが出現する前に開発を始めてしまったため、186/188の基本構成ではIBM互換機を設計することができなかったのです。PC-DOSがそっくりそのまま動作しないようではユーザもメーカも納得しません。この時点でiAPX 186/188は「不可」の烙印を押されてしまったのです。こうしてiAPX 186/188はパソコンの世界では活躍の場を与えられず、ひっそりと姿を消していきます。唯一パソコンに採用されたケースは富士通のFM-16βくらいではないでしょうか。
ところがその後iAPX186/188は組込み型の世界で大きな活躍をします。8ビットからのアップグレードに重宝され、汎用コンピュータ用の端末やATM、ロボットやFA用プログラマブル・シーケンサー、プリンタやコピーマシン、医療機器など、さまざまな機器に応用されていきました。ちょっと変わったところでは初代の東北上越新幹線車両に装備された列車自動制御装置(ATC)のメインCPUとして多くの乗客の安全に貢献したりもしています。
その後より低消費電力への対応として80C186/C188といったCMOS半導体へのリニューアルも行われるなど、発表後20年余りにわたるロングセラーモデルとなりました。実はiAPX286よりもずっと製品寿命は長かったのです。